リーチのあれこれ

好きなこと、思ったことを気ままに綴る備忘録。

平成から令和へ、私はどう生きるか

前の記事で、平成における航空業界の変化を私見たっぷりで述べましたが、私がどうしてここまでの熱量で語ることができるのか。それには、理由があります。


私には現在、目標があります。それは、航空管制官になることです。


ずっと航空業界が好きだった私は、大学を卒業して、すんなり就職するものだと思っていました。しかし、大学を中退してしまいます。

理由は様々ですが、勢いと将来への見通しの甘さ、つまりは若気の至りです。このことは、今でも後悔しており、私を苦しめていいます。


そんな私は大学中退後、しばらくある仕事を非正規雇用でしていました。しかしこれではいけないと思い、正社員を目指します。それを機に、転職も決意します。

結果的には転職し、転職先では正社員としての雇用を得ることができました。


しかし、ここでまた見通しの甘さが露呈します。


正社員と転職ということに固執し、全く興味のない職に就いてしまったのです。しかもそこはなかなかのブラック企業、私はほんの3ヶ月で辞めてしまいます。


中退後に働いていた職場が元々国営企業で、安定していたこともあり、私は一般企業、特に中小企業に大きな嫌悪感を抱きました(中小企業の皆様、大変申し訳ありません。素晴らしい会社も沢山あることも認識しているつもりです)。そこで私は、アルバイトで生計を立てつつ、公務員を目指すことにしました。


少しでも早く安定を求めている私は、少しの勉強でも合格できそうな市役所を目指します(ここでも失礼な発言申し訳ありません)。しかし、一次試験は通るものの、対策不足と志望動機がかなり弱い私は合格できませんできた。


昨年、受験した市役所全てに不合格した私は、翌年の各種公務員試験で、どの区分を受けるか計画を立てます。そこでふと目にしたのが、航空管制官でした。


航空機を運行している会社への入社は、大学中退の私では可能性は殆どありません。しかし、少しでも航空機の運航に、大きな所で携わりたいという思いが、微かな炎となって私の中で燃え続けていたのでしょう。その炎が、一気に燃え上がりました。


実は受験生時代、中退した大学を志望する前、私は航空保安大学校という、管制官も研修を受ける国交省の機関を目指していました。管制官ではなく、理系科目が試験で必要だったのですが、その時苦手になっていた理系科目に取り組まず、不合格になった苦い記憶があります。


私は本当に学ばない人間だというのが、ここまで読んでいただいてよく分かったと思います。それは私自身も痛感しており、その積み重ねで今のような状態になってしまっているのもよく分かります。


私は好きなものは色々ありますが、それで食べていけるほどスキルがあるもの、そのスキルを身につける為にのめり込めるものはありませんでした。しかし、航空管制官という職業を目にした瞬間、どんなに辛くても、本当に好きだし、貢献したいと、強く思うようになり、ようやく確固たる目標を定めることができたのです。


しかし私は、英語が出来ません。英検も3級止まりです。今度こそ、苦手だからと逃げることなく、目標に向かって勉強しているつもりです。



またもや長々と語ってしまいましたが、私のゴールは、航空管制官になることではありません。航空管制官となり、私が安心して乗ることができ、ワクワクや楽しさを提供してくれた飛行機の体験を、今度は私が空の安全を守る一員となり提供し、少しでも多くの人に提供し続けてることです。

航空機は、多くの人にとっては、自動車や鉄道のように、日常的に乗り慣れている交通機関ではありません。また、空を音速に近い高速で移動するという、不安を覚える人も多くいる乗り物です。そういった人が、結果的に無事に乗り通すことが出来、それが当たり前である為に、自分が関わることが出来たら、これほどやりがいのある仕事はないと思います。


次またいつこのブログを更新するかは分かりませんが、何かいい報告が出来るよう、日々精進して参ります。令和が、自分にとっても世界にとってもいい時代であるよう、自分なりに行動していけるように。

平成から令和へ、航空業界にみる平成での変化

お久しぶりです。一年ぶりの更新になるでしょうか。


さて、いよいよあと少しで平成から令和へと時代が変わります。令和を築いていく世代の自分としても、この社会の変化はかなり大きなものであると感じています。


平成では、様々な社会の変化がありましたが、そんな平成を、最後に自分の専門分野である航空業界に焦点を当てて語りたいと思います。


自分が持つ知識で語るので、間違いがあるかと思いますが、ご容赦ください。



まず、航空業界は、世界情勢との関わりがとても深いです。そういった意味で、平成と始まりとともに崩壊したソ連の存在は大きいでしょう。


ソ連崩壊により、日本や韓国といった極東の西側諸国からの欧州直行便が大きく変わりました。

それまでのアラスカ経由や南回りでの欧州便が、シベリア上空の通過が許可されたことにより、ノンストップで運行されるようになりました。ソ連崩壊以前から、フィンエアーなどのいくつかの航空会社では運行されていたと記憶していますが、それが本格化したのはソ連崩壊後ではないでしょうか。

日本と欧州の心理的距離がグッと近くなり、人の往来や経済の結びつきが強くなったのではないかと思います。


また、平成初期は2マンクルーのハイテク航空機が多くデビューし、B747クラシックやDC-10などの、航空機関士を必要とする航空機に変わり航空業界の主役を担うようになりました。その技術進歩により、長距離便に於ても経済性で有利な双発機が主役に躍り出るようになり、A330B777などが花形の長距離路線で運用されるようになりました。

個人的には大型で2階席のあるB747や、私がよく利用していた日本国内ローカル線ではなかなか運用がなかったDC-10やトライスターなどの3発機を羽田や伊丹で見るたびに、いつか乗りたいと思っていたものですが、自分が経済的に自由になる前に日本の空から消えていったのはとても残念に思います。


また、平成の日本の航空業界を語る上で欠かせないのが、JASJALの合併です。私と同世代の友人でも、JASを覚えている人は少なく、時代の流れを感じます。この合併で、憧れのJALに気軽に乗れるようになったと喜んだ一方、これがJAL倒産の引き金のひとつでもあったのだなとしみじみと思います。


その間にも、世界的な航空自由化が進み、国内でもスカイマークをはじめとした第三極と呼ばれる航空会社が運行を始め、また2010年代には、LCCがいよいよ国内でも運行を開始しました。LCCの登場により、飛行機が多くの人にとって更に身近になったと言えるのではないでしょうか。


国産初のLCCであるピーチが運行する前、既に航空業界に興味を抱いていた私は、各関連メディアで目にしていた、大手航空会社(レガシーキャリア,FSC)が立ち上げたLCCの失敗記事を目にし、当時国際的競争力を失い始めていた家電製造各社のように、国外で失敗しているようなことを日本の企業が成功出来るのか、不安でした。

しかしそのような不安は杞憂に終わり、紆余曲折はあったものの、日本のカスタマーに合ったLCCとして成長し、見事に市民権を得ている現状には、大げさかもしれないですがこの国への希望と、航空業界への明るい展望を見たように自分は感じます。


また、平成初期に登場したハイテク航空機の次世代機として、ここ10年で、B787A350などの新世代の航空機が多数登場し、新たな需要創出や今までの航空機ではキャパオーバーだった路線の開設など、目まぐるしい変化が起こりました。


そして、私が航空業界の激しい変化をひしひしと感じる最大の要因として、「ハブアンドスポーク」から「ポイントトゥポイント」への航空各社の戦略変化というものがあります。

私が「ハブアンドスポーク」を教わったのは10年前、受験生時代でした。世界各国を代表する巨大な国際空港に、国内だけでなく近隣国の地方から自社便で旅客を集め、そこから世界各国への長距離便の利用客を乗せる「ハブアンドスポーク」戦略により、日本は国際的な交通結節点としての地位を、近隣の韓国仁川空港だけでなく、シンガポールチャンギ空港、タイのスワンナプーム空港に脅かされていました。そういった要因から、羽田のD滑走路建設と再国際化が進み、日本の空は大きく変わりました。

それが今では、世界的な空港の整備と、前述した新世代機により、ポイントトゥポイントにより、日本からも世界の様々な都市への直行便が運行されるようになりました。自分としては、オーストラリアのパースや米国のボストン、インドのムンバイやメキシコに日系航空会社が直行便を飛ばすようになるなんて、受験生時代には考えられませんでした。


国内線に目を向けると、国内の空港でも滑走路延長や移転、新空港開港が平成には相次ぎ、羽田や成田が大きく拡張されました。国内線でも限られた発着枠の中で沢山の利用客を運ぼうと、地方路線でも大型機が使われていた平成初期から、多頻度運行による利便性向上と引き換えに、小型機によるダウンサイジングが進み、B747の脇をMD-81がタキシングする伊丹の風景が懐かしく感じるようになりました。そのため、地方空港を発着するB747B777の姿にノスタルジーを感じます(繁忙期には、今でもB777が地方でも運行されることがありますが)。


長々と語りましたが、自分が持つ乏しい知識だけでも、平成の航空業界の変化をここまで語れるのかと驚いています。また、日系航空会社での事故による死亡事故は自分の記憶する限り起きておらず(ハイジャックや胴体着陸などはありましたが)、とても安心して利用できる交通機関であると自分は考えています。これは、空の安全を第一に、顧客に快適な旅を提供する為に一生懸命働いていらっしゃる非常に多くの方々の頑張りがあってこそではないでしょうか。


自分は父と母の故郷が遠く、幼い頃から飛行機に乗る機会が比較的多かったように思います。数年に一度乗る飛行機がとても好きで、いつも楽しかった思い出があります。それは今でも変わらず、飛行機に乗る度、ワクワクでいっぱいです。

そんな素敵な乗り物である飛行機が、令和の時代にも同じように、いや、それ以上に素敵なものになっていければと思います。

好きなことあれこれ

私は、良く言えば多趣味、悪く言えば中途半端に色々なものに手を出してる、そういった感じの人間です。

一度、好きなものを整理してみようと思います。

 

・音楽

これは、一番長く続いている趣味と言っていいでしょう。

元々幼少期にピアノを習っており、幼い頃から比較的音楽に触れる機会が多かったと振り返ります。

中学生になると、親にミニコンポを買って貰い、そこからラジオを通じて、様々な音楽を知るようになりました。

同時に、当時の同級生の影響で、ギターも始め、今でも時々ですが弾いています。

学生時代も弾き語り主体の音楽サークルに入り、そこで更に多くの音楽を知りました。

今でも好きなアーティストのライブに行ったり、CDを買ったりしています。私を語る上で、欠かせないものです。

ギターは、あまり上手くないですが、コードが難しくない曲なら、知らない曲でも1~2回聞けばそれとなくコード弾きが出来ます。ちょっとした自慢です。

他にも、ベースも最低限は弾けます。

音楽のことは、今後も沢山書いていくと思います。

 

・乗りもの

乗りものとまとめましたが、一番は旅客機です。一時期、多く乗る機会があり、そこから好きになりました。

そこから、鉄道、自動車と、主要な乗りものは好きになっていきました。

昔は、月刊エアライン(イカロス社)を毎月講読していました。書店に行くと、今でも旅客機関連の書籍を探し、気に入ったものは購入しています。

 

鉄道の知識は、ニコニコ動画YouTubeに投稿されている「迷列車で行こうシリーズ」で得たものが多いです。その他は、図書館でしょうか。

たまに都市近郊区間大回り乗車の旅をしています。我孫子唐揚げそばは大好物です。

 

自動車は、学生時代の友人の影響が大きいです。東京モーターショーに何度か行き、各種自動車記事配信サイトを愛読しています。今乗るなら、プジョー208 Style 5MT(http://www.peugeot.co.jp/models/car-selector/208.html)が欲しいですね。

学生時代は、交通をテーマに研究もしていました。ほんの少しですが。

 

・野球

地元が何かとプロ野球に縁のある所で、野球は一番好きなスポーツです。ゲームの影響も大きいですね。私自身はバリバリの文化系なので、野球経験はありません。

今でも、年に数回球場に足を運びます。応援している球団は、広島東洋カープです。恥ずかしながら、ここ2,3年の話ですが。

 

・旅行、遠出(ドライブ)

遠いところ、普段自分と関わりのない土地に行くことに、とてもワクワクします。お金さえあれば、世界中を廻ってみたいと思っています。

海外は、台湾とベトナムに行ったことがあります。その話も追々出来れば。

 

 

こんなところでしょうか。あとはマンガやアニメをそれなりに嗜む(?)位でしょうか。

それでは、また。

はじめまして。

はじめまして、リーチと申します。

ふと思い立ち、ブログを初めてみることにしました。

 

目的としては、

・自分の知識の整理

・文章作成の練習

といったところでしょうか。すぐ飽きるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そんな感じです。

 

知識といっても、大層なものではありません。自分の好きなことを紹介する練習、といったところです。

 

ここで軽く自己紹介を。

私は現在、東京在住です。生まれと育ちは、また別の所ですが。

肩書きは、フリーターになるのでしょうか。何とも行き当たりばったりで生きてきたどうしようもない奴です。

 

学生時代以来のブログ開設ですが、今度こそ続けば、と思ってます。それでは。